みなさんお元気ですか?
暦は春に向けて着々と進んでいます。実際本州では梅などが咲き始めている頃でしょうね。
私が住む北海道はまだまだ真冬で、執筆している今の外の様子は曇り空です。
日本は南北に長い島国で、4月以降にならないと本格的な春到来とはならないのかと感じます。
さて話を変えて、今日は休みだったので日用品など買い物をしてきました。商品を手に取り改めて商品価格の値上げが続いています。要因は様々ですがこれまでデフレだった日本、567になり早2年が経過しこれまでは何とか企業努力で値上げは最小限に抑えられたのかと思います。しかし、努力の範疇を越えた状況になり、いよいよ価格引き上げや内容量減少がどんどん進んでいます。
今更ながら日本の経済成長はこの30年間ほぼ横ばいで、1970年代の水準に下がっていると経済情報誌に書いてあった記事を読んで「そうだろうな」と思う次第です。
今回の記事は1970年代から80年代に自分が生きていた時代を通して、当時の記憶を辿って
「これからの人生をポジティブに生きるヒント」を書いてみます。

以前上げた記事に関連した内容が有りますのでそちらもご覧下さい。
1970年代から80年代初めの私の風景
私が生まれて10歳(小学4年生)前後の頃です。この時期日本は高度経済成長からオイルショックを経て成長から急激な下降から停滞期を体験していました。もちろん子供の私にはそんな実感は乏しく、今思い返してみて、既にカラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫は自宅には在り、郊外でしたが一軒家で暮らしていました。また父は車を使っており、休日の家族で遊びや買い物に連れ出してくれたり、時々通学などにも乗せてもらったなど、その恩恵に預かっていました。世間一般は如何ほどか分かりませんが、恵まれていた家庭環境でした。
その分父親はいつも朝早く仕事に出掛け、夜遅く帰宅する企業戦士(死語)でした。たまの休みも仕事絡みの付き合いなどで忙しく、家族は母子家庭の様でしたね。(その分生活は潤っていました)
母親は専業主婦でそんな役割分担が出来ていたので、父は仕事に専念出来ていたのかと思います。
今執筆しながら当時の両親が支えてくれた生活を振り返ると、寝食に苦労が無いのは本当に有難いものです。大学卒業し就職した後独立し結婚して現在がありますが、改めて家族を支えるのは大変なのですね。
「当たり前は決して当たり前ではない」のを実感する次第です。

次々と変わる街並み
小学4年前後になる頃、私が住む地区は線路が高架化され道路の整備も頻繁に改良されていきます。昭和50年代初めは大雨になる年が多く、一度大雨になると河川の氾濫が頻繁に起こり、当時の実家周辺はたちまちこの様な状況になると、水が迫ってきた事態に何度も遭遇し、また冬になると地吹雪、大雪から除排雪はままらなず、陸の孤島化する地区でした。
子供時分だったので、さほど深刻さは感じず何かあれば「うわー大変だ!!」と思う程度。
「今思っても本当に脳天気な子供でしたね・・・」
新興住宅地だったので上下水道未整備な個所も多く、田舎感は相当でしたが、その分夜になると夏場から秋にかけては虫の音、カエルの鳴き声がそこかしこから聞こえ、冬になると雉が飛んでくる場所でした。またまだ宅地化も少しずつだったので、至る所空き地だらけで遊ぶのには困らなかったです。
そして、当時近所には同世代の子供達が沢山いて、今は音信不通になった幼馴染とも良く遊んでいました。
片側2車線道路が至る所で整備されてきた昭和50年代半ばより、いわゆる郊外型の大型スーパーマーケットが進出してくると、不自由な買い物事情が改善されていきます。けれど、これまで地域で営業し何かとお世話になっていた個人商店が徐々に姿を消し、コンビニ化するなど変化が訪れます。利便性を得た分、地域の繋がりが変わる過程を子供ながらに目の当たりにした時代でした。

おおらかさから次第にぎすぎすしてくるような…
小学を卒業し中学へ進学する頃は、更に住んでいる住宅地は発展を遂げていました。人口の流入は地方から起こり、都市中心部からその受け皿として、新興住宅地が急速に開発され、ベッドタウン化が進み学校の数も増えていきます。私が初めて通った小学校は一クラス確か40人はいたでしょうか?それが一学年10クラスあり、更に全学年においてもおよそ同じ構成なら学校は必然的に手狭になります。
子供達をさばき切れなく学校は、地域の実情を鑑み学校新設となる訳です。当時の人口増加は現在とは明らかに違い、いわゆる第二次ベビーブーム世代の就学時期と重なり、都市部・地方も人口ボリュームと活気がありました。どこに行っても子供が多く、学校が終わると子供達の声が夕暮れ間近まで聞こええていたのです。
中学入学で住む世界がガラッと変わり、それまでの脳天な私にも
「勉強しなさい」
「要領よくやりなさい」
「お前はこんな成績で悔しくないのか」
など周りからの声が多くなり始めます。私は長男でしたので親も少なからず期待を持って接します。
子供ながらに応えようとしますが、自分の心身を上手く使いこなしていない(これは今もそうです)ため、勉強・運動など良い成績が出ない日々が続きます。
そのような時間の流れに気が付くと、すべてに対してどこか諦めたり、自分の存在すらを放置するようになっていました。すると人間関係にも変化が起こります。
それは思春期特有のアイデンティティの構築と、自己と他者の比較が始まります。
「あいつは何であんなに勉強出来るんだろう?」
「運動神経いいなー!」
「なんかとても人気があっていいなー」
など、今ならどうでもいい内容に一喜一憂していたのを思い出します。
比較はそれだけ、『自分の心を削り優越感や劣等感を知らず知らずのうちに心に刻みます』。

あの頃の風を思い出して
小学から中学時代の思い出をさらっと振り返りました。
それぞれに体験した足跡を振り返り、今の自分を作り出しているのかと思います。
ところで、本来の脳天気な自分が戻ってきたのは実はここ数年です。それまで気が付けば周りの評価に縛られていました。この年になってそんな縛りから徐々に解放されいます。
それはきっと『10歳の頃の自分』が時々私の中に登場するようになったからだと思います。
「うーん!何故かな?・・・」
とある本を読んだのがきっかけなのかと。その本のタイトルすら忘れてしましましたが、今こうして思い出すタイミングだったのでしょう。
空き地がそこらかしこにあった10歳当時は冬になると、かまくらを作ったり雪原で凧を飛ばしたりして遊んでいました。また近くを走る線路から汽車を見に行くのも好きな子供時分でした。
好奇心に溢れていたあの頃、今はすっかりくたびれた中年のおっさん。
ふっと10歳の自分が現れてこう聞きます。
「今が楽しい?」と…。
前に執筆した記事にも同じ内容を出しました。人生の折り返し地点、きっと先人の方々も似たようなノスタルジーを抱えて、その後の時間も生きたのかと想像します。私も気が付けばその年代になったのかと思うとことさらに感慨深いのです。
自分の心身の変化として、疲れやすくなったり、記憶力低下など何かしらの漠然とした不安やネガティブな思いが現れては消える毎日です。
ただ今はちょっと考え方を変えています。上記の様な現象は「考え方次第でどうにでもなる」と思い始めています。
そんなさなかに10歳の私がひょっこり現れるようになりました。
ある本で『時間は存在しない』と書かれた一文が気になりました。
「時間の概念は人が作り出した幻想」
今あるのは過去も今も未来も同居するのだと。なるほどそうなのかと膝をポンと叩くのでした。
何でも限界を決めてしまった時点でそれが縛りになり、自分の生き方を窮屈にするのだと。
「今は楽しい?」
「そうだねー楽しくなるよ!きっとね…」と言える自分に軌道修正します。
手始めに凧でも上げみるかな・・・
『可能性は無限』
使い古された言葉ですが、言霊から感じる本当の意味が最近何だか沁みてきます。不思議ですね、この年になってじゃないと再確認出来なかったのでしょうか?
人の一生はそれぞれですね。
最近までは本当に些細な気付きから始めの一歩が遠かったのですが、自己分析するまでも無く、いつの間にか億劫になり、そして失敗を恐れるあまりに臆病になっていたのだと。
『リミット解除』
出来ることをやってみようすると景色が変わるから。
何てねー😁
おしまい…
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次の記事で会いましょう。
コメント
こんばんは😃🌃
凧を上げてみたらいかがですか❓️
きっとすごく楽しい、そして空に舞う凧を見て、ご自身の無限♾️の可能性を感じることでしょう🤩👍✨
私はそう信じます。
霙さんこんばんは
コメントありがとうございます😊
当時の記憶今はとても大切にしています。
凧を揚げる
そうなんです
揚げた先に何か新しい世界が見てくる気が今はしてなりません😁