映画から知る「認知症の世界」おすすめ作品2選

介護・福祉

みなさん最近映画観てますか?
劇場、レンタル、サブスクと視聴方法は随分変わりました。筆者もコロナ流行前と現在とでは大きく見方が変わりましたが、映画自体を愛する気持ちはここ数年で益々強くなっています。

さて、今回紹介する作品はいずれも「認知症の登場人物」が出てくる作品です。

映画において認知症を扱う作品は多くあります。その中で筆者が最近観た作品を紹介し、認知症について「ああこんな人の世界なのか!」と考えるきっかけになれば幸いです。

作品についてのネタバレを含みますのでご注意を。

「ニューヨーク東8番街の奇跡」

結論

今までに無かった認知症ワールドとSFとの融合

いわゆる「奇跡もの」作品ですが、観ると面白いストーリー展開に心がほっこりしますよ。

🎞️あらすじ

街は新陳代謝を繰り返しています。それはまるで人体の様に古きから新しきものへと。
舞台は1980年代のニューヨークイーストエリア。区画整理を行う地区にある古いビル。そこに住む住人の話。

その古いビルの一階にはアメリカンスタイルの古き良き時代のダイナ(食堂)があり、そこを営む老夫妻がこの話の主軸です。他には画家志望の中年男性。バンドマンの彼を待つ臨月間近の未婚の人。人付き合いが苦手な元プロボクサーの男性などが住んでいます。

今日も派手目の服をまとって近所を出掛けているのが、ダイナの奥さんフェイ。夫のフランクは妻を探すが、暫くして近所の散策を終えて店に戻ってきた妻を見て安心する。
フェイは認知症であったが、なるべく彼女の生き方を尊重して暮らしていた。

そんな中、毎日周囲は取り壊した建物の撤去作業や新しいビル建築の準備。さながらその光景は戦争で被害を受けた都市の復興の様に描かれているが、これらは合意か非合意かで出て行った住人たちのかつて住んでいた地区である。

フランク夫妻を含めビルの住人に「地上げ屋のカルロス」から執拗に立ち退くよう嫌がらせを受けていた。住人は次から次へと出て行く。
さて取り壊し(立ち退きに)には期限があり、施工主は予定通りに進んでいない工期にイラつきを覚えており、施工主の圧力はカルロスへと向けられる。各住人には金銭的な(札束で頬を叩く)アメと容赦なく部屋に入り込んで家財道具など壊しまくるムチ的なやり方で立ち退きを迫る。
警察に被害相談しても施工主の根回しなどもあり、警察の対応ものらりくらり。
とうとうダイナを壊し始め、もともと開店休業状態の店を完全に営業出来なくしてしまう事態となります。

フランクはフィンの認知症も進み店を壊され、いよいよ途方に暮れる中
「ああー神様 どうかこの状態から助けて下さい」
とつぶやき疲れ果ててその日は寝てしまう。

次の日起きてみると壊されたはずの店内が元の状態に戻っている。そこから物語の奇跡が始まるのであった….。

見どころ&考察

①この作品はタイトルにもあるように「奇跡」が主軸である。その奇跡はどの様にして起こされたのか?
②フィンとフランク夫妻のこれまでの生き方そしてこれからは?
③各住人の過去や今そして未来について
④認知症を通じて人との接し方は決して悪いものではないことなど
フィンの行動から病名はアルツハイマー型認知症と推測されます。
認知症としての中核症状※1は記憶障害全般
周辺症状※2は妄想・見当識障害※3・焦燥しょうそう感・多弁※4・多動などが見られます。
病に至るには原因があります。それは生活習慣や脳に対してのダメージ、激しいストレスなど。フィンについては一人息子の死がきっかけとなり、時間を掛けて発症したと思います。
 
奇跡について、80年代の映画はSF作品が全盛期。この映画の原作は読んでいないので分かりませんが、謎の正体がまさかの異星人。それもUFOそのものが彼らの容姿でありスタイルです。
フランクの言葉がどの様に彼らに届いたかは本編を観て確認して頂きたいですが、制作総指揮にスピルバーグ氏の名前があるので、ストーリー展開に”ET”や“未知との遭遇”などを彷彿ほうふつさせる場面があります。
 
※1:認知症は脳の細胞が死ぬ、脳の働きが低下することによって直接的に起こる病。
「記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能障害、言語障害(失語)、失行・失認などの理解、判断、論理などの知的機能障害(認知機能)」を受けた状態。
※2:妄想、幻覚、せん妄、不 安、焦燥しょうそう徘徊はいかい、睡眠障害、多弁、多動、依存、異食、過食、
不潔、暴力、暴言 など必ずしも認知機能の障害と言えない行動的障害。
※3:時間や場所、人などが認識できなくなる障害。
※4:口数が多くなる。良くしゃべる状態。

介護士”よしぱら”の視点

さて、フィンの様に心に傷を負ってから徐々に精神がむしばまれ、躁鬱そううつ、統合失調症へ発展するケースはあります。そして、高齢期になり認知症へ進行する方を何人も看てきました。

ストーリ展開より「目に見えないもの」の登場は、家族やサポートする人たちには問題行動として捉えられます。映画を観進めると見えないものの正体はすぐに分かりますが、本人にしか認識できない世界観について、全面的な否定は認知症の方に対する接し方ではNGとなります。
俗に言うサポート側が役者になり相手の話に合わせた演技を行う。この場合は見えないものを一緒に共有できる関係性が重要になります。するとかたくなにしていた本人の気持ちにも変化が出て来て、その後の関係性が上手くいく確率が上がります。

アルツハイマー型認知症の特徴
✅今住んでいる場所(自宅など)が認識が出来ない
✅介護者が突然見知らぬ他人になる
✅今の時間軸と過去・未来などがごちゃ混ぜになる

話は映画に戻して、フィンの言動と異星人の交流を通して住人が一丸となってビルでの生活を守ってゆくことになります。

認知症の対応について、以前筆者が書いた記事を参照して頂けると認知症ワールドの対応が見えて来ます。

まとめ

初めはフィンに振り回される物語かと思いましたが、実は根深い事実があり再開発を伴う都市計画や人生を上手に生きて行けない人たちの葛藤などが描かれています。
異星人から見た地球人は野蛮で、それでいて優しく温かい存在。映画ラストには大惨事が起こり、地上げ屋サイドの勝利と思われる場面から一発逆転劇が待っています。
1987年の作品で上映時間106分間の奇跡を観てはいかがですか?

現在:アマゾンプライム・U-NEXT・GYAOなどで配信されいます。

Yahoo!映画情報より

2選目 「きみに読む物語」

結論

「人生の最期にそばにいて欲しい人は誰ですか?」
 

他人同士が知り合い、愛し合い結ばれ、結婚そして…ある老夫婦の記憶を辿たどる物語です。

🎞️あらすじ

アメリカのとある高齢者施設が舞台。デュークは認知症の女性アリーに口調穏やかにある物語・・を読み聞かせるのが彼の日課であった。
時代は1940年アメリカ南部シーブルックに回想される。17歳のアリーは夏の期間両親と共に別荘にやってくる。ノアは地元で働き父と二人暮らしの青年。町の遊園地(カーニバル)で彼らは知り合い、ノアがアリーを一瞬で好きになり強引にデートに誘います。困惑する中仕方なくアリーはOKします。

何度かデートを繰り返すうちに、日々の窮屈な生活に息苦しさを感じていたアリー対して、ノアが
「君の本当に好きなことは何?」と問うと
暫く考えたアリーは
「絵が描きたいの」と本心を打ち明ける。
お互いの気持ちを通い合わせられる仲となり、やがて付き合い始めます。


ノアはある夜アリーをとある廃墟に誘います。ここはかつて地元では有名だった大農場の屋敷跡。中は朽ちていたがノアが
「いつかこの家を買って作り直し、君と暮らしたい」と告げる。
アリーも屋敷内にある古いピアノを弾き始め、いつしか二人の気持ちは最高潮に達する。
アリーと結ばれそうになる時に、突然ノアの友人がやって来て、アリーの家族より捜索願が出ていることを伝える。慌てて戻ると、そこには警官とアリーの両親が待っていてノア両親に詫びて出て行く。

その後身分の違いなどから交際は禁じられ、再びアリーはノアには会えずシーブルックを後にしてノアとの関係は終わります。
ノアも突然の別れに納得が出来ずアリーに毎日手紙を送るが、母親がアリーに渡すことはなかったのでした。

時は過ぎノアは徴兵され戦地へ。アリーは大学に進学しそれぞれの人生は動き出す。
ノアは兵役を終えて父が待つシーブルックに戻ります。
父親との再会を喜びその後父が自宅を売ると言い、退役時得た報奨金を合わせてかつてアリーと過ごしたあの屋敷跡を購入し、父と暮らしながら屋敷を一から直し始めます。

一方アリーは大学時代にボランティアとして戦地から一時帰国していた負傷兵の看護助手をしていた。その時知り合ったロンとその後付き合うことになり、やがて親公認として婚約に至る。ただ心中にいるノアのことは忘れられずにいた。

結婚を数日後に控えていたある時、アリーはロンに「結婚前にやっておきたいことがあるの」と話す。ロンは理由は聞かず承諾する。

アリーは一人思い出のシーブルックへ向かいノアを訪ねることに…。


見どころ&考察

①ひと夏の出会いから、それが永遠に続く様に思われた若い二人の心の葛藤
②夏が終わりそれぞれに進む道の先にあるものとは
③ノアとアリーそしてロンの出した答えは?
④今に繋がる物語の結末
 
 

話は現代と過去の回想を繰り返します。作中の状況から現在のアリーはアルツハイマー型認知症と思われます。作中読み聞かせしているデュークはノアです。
病状は進行しており、ノアのことを瞬間的に思い出す程度。その日の体調も浮き沈みがあるが、アリーに物語を読み聞かせるシーンで「この話何だか聞いたことがあるの…」「それで続きはどうなるの?」など反応が描かれています。

1作目のフィンもアルツハイマー型認知症でしたが、ノアも中核症状記憶障害全般、理解・判断力の低下であり、周辺症状見当識障害が挙げられます。
記憶は高度な脳の働きです。日常的な出来事・勉強などで覚えた情報は、一旦海馬に収められて整理整頓されます。その後、大脳皮質にためられていくと言われます。
つまり私たちの脳の中では「新しい記憶」は海馬「古い記憶」は大脳皮質に収められます。
過去そして今を彷徨さまようアリーの姿をノアは常に支えるのでした。

介護士”よしぱら”の視点

劇中女性介護士がいつも通り読み聞かせをしているデュークに、アリーの様子を見て「今日はダメかしら」と話すシーンがあります。これは記憶が全然戻らないことを言っています。
ところがデュークは「今日は大丈夫!!」とアリーの記憶が戻るような気がすると話し、実際その後一瞬彼女はデュークをノアと認識しています。
言った次の瞬間にまた忘れている人へ繰り返し話すのは、忙しい日常での対話は容易ではないです。話している本人は常に不安の中にいて、聞かされる人もうんざりする負のスパイラルは、在宅介護などでは双方に相当のストレスになります。

職場で認知症の入居者と接していると、普段意味不明な言動の方がまともに発言をする時があります。日頃から職員の声かけや、本人に向けて一方時に話していると、まれに記憶が戻り目の焦点がはっきりし真顔になります。びっくりしますが、まともに話す瞬間から病気になる前の本人がちょっと垣間見え『この人にも普通に暮らしてきた時があったのだ』と思うのです。
失った記憶・思い出が甦るのが難しい方々に今日も寄り添っています。


話を戻して、ノアは物語を語りそれを新しい話として静かに聴いているアリーの姿は、人生の黄昏時期を過ごしている夫婦の究極的な姿として映ります。

まとめ

劇中終盤にノアとアリーの元へ子供達と孫が会いにやってきます。このことからアリーはノアと結婚したのが分かります。そこにはロンとアリーの別れがあり、このシーンも身につまされます。
「人生は出会いと別れの繰り返し」です。縁があって知り合う人たちは何らかの意味を持って出会うと思います。

ラストシーンの夜、介護士のさりげない優しさからノアがアリーの元に来て語り添い寝をするシーンで終わります。
2004年2時間4分の作品。彼らの物語を是非観て頂きたいです。

現在Hulu、アマゾンプライム、U-NEXTなどで視聴可能です。

今回はここまで

最後まで読んで頂きありがとうございます

次の記事で会いましょう

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