【春の函館観光】 五稜郭公園桜祭りと歴史散策

街歩き・食べ歩き・経済

2023年春の函館それも五稜郭の満開の桜を一度は見てみたいと思っていた筆者。
そんな思いを胸に2年振りに函館旅行を敢行しました。

五稜郭公園の桜は規模の大きさ・ロケーションなど訪れた旅人を魅了し再訪問させたくなる場所です。
更に近年では漫画
ゴールデンカムイのラストを飾る場所でもあり、漫画聖地巡礼で訪れる方が多いと聞きます。

今回の記事は五稜郭公園をメインに巡ってみた旅ブログです。

函館五稜郭公園

まずは位置関係の紹介です。
北海道の道南地区に函館は位置します。下は函館近郊の地図です。

函館全容図①

下記が函館五稜郭周辺地図です。星形の五稜郭をメインに今回泊まったホテルを黄色のマルで付けています。

五稜郭周辺地図②

筆者は4月23日から25日の期間で函館滞在しました。


例年の五稜郭の開花予想を基に若干早めに現地到着で桜が見れると思いましたが、2023年の桜前線は過去最速でした。
既に4月20日には満開の情報で「え!」と口に出す程でしたが自然相手なので仕方ないですね。気を取り戻し五稜郭を目指します。

今回の観光ルート

①五稜郭公園
②箱館奉行所

この記事は五稜郭公園周辺と公園内を巡る旅の記録です。函館には何度も訪れていますが、一つのエリアをじっくり観たのはこれまで無く、とても楽しい時間を過ごしました。

五稜郭公園 ~その周辺散策~

現地到着は4月23日の17時過ぎ。今回の宿泊先は楽天トラベルでチョイスした
ホテル法華クラブ 函館
にチェックイン。
2泊3日滞在で大人一人朝食付きで1万8千円でした。
(日曜絡みの2泊繁忙期前の予約でお財布に優しく嬉しい価格でした😊)
夕食を済ましてホテル近郊を散策します。

筆者撮影 五稜郭タワーと夜桜

ホテルより徒歩5分程で五稜郭公園に到着します。時刻は21時を過ぎていましたが、日曜の夜にも関わらず観光客が周辺に多く見かけました。寒かったため公園内には行かず翌日訪れます。

筆者撮影 道新聞函館支社前 小野寺紀子氏作「若き星たち」

五稜郭タワーを後に公園付近散策。ホテルへ戻る途中に目を引くオブジェがありました。このブロンズ像は箱館戦争をモチーフに制作された無名の戦士の像です。公園周辺には数々のブロンズ像があるようです。

翌日朝食を済まして早速出掛けます。
風はまだ吹いていましたが、天気は晴れ屋外散策には良い日取りです。

筆者撮影 五稜郭公園

五稜郭タワーを目指して現地に到着しますと初めに目に入ってきた風景がこの一枚です。

「うわー!!キレイー!!」
思わず口から出た言葉は驚きと感動にあふれ、一面に広がる桜の花の多さに呆然ぼうぜんとしたのでした。

桜の数について公式五稜郭タワーのHPより調べると「ソメイヨシノ」を中心に1500本あると書かれています。

筆者撮影 公園内の様子 提灯ちょうちんが祭り感を出しています

時刻は9時過ぎ。五稜郭タワー周辺には観光バスが乗り付けていて大勢の観光客がいました。五稜郭公園の敷地は東京ドーム5個分。筆者がいるこの周辺にはまだ人は多くなかったです。

筆者撮影 公園内から見あげる五稜郭タワー

どの風景を撮影しても絵になります。

筆者撮影 手前の水辺は堀で奥に見え桜並木の場所が箱館奉行所などがある五稜郭敷地

堀の外周は1.5Km。散策を続けていると観光客に交じって地元の方々が散歩やジョギングしています。また近所の保育所の子供達がお散歩をしていました。きっとこの子達の目にもこの並木の記憶が残ってゆくのかと思うのです。

筆者撮影 

今年から3年ぶりにジンギスカンなど個人の花見時限定で火気使用がOKになっていました。
五稜郭タワー周辺の公園入口には火気使用可能エリアなのでしょうか、ブルーシートが多く敷かれ公園内で商売されている方と思われる方々が昼食に向けた準備している様子が見られました。

ところで花見になぜ火気使用?
と思う方いますよね。
TVのバラエティー番組『秘密のケンミンショー』などで紹介されているのでご存知だと思いますが、道民はとにかく屋外で行う焼き肉やBBQバーベキューに大変な思い入れがあります。
そして春の桜花見を兼ねたジンパ(ジンギスカンパーティー)は定番なのです。
今年は全国各地で以前行っていた祭りやイベントが再開され、コロナ前の活気が戻っていると聞きます。
そして改めて屋外での飲食が出来る幸せを感じます。

筆者撮影 五稜郭入口

それでは五稜郭に入ります。
五稜郭は特別史跡でして道内ではここだけの場所です。ところで特別史跡とは何ぞや?調べてみますと👇

特別史跡とは国が文化財保護法で指定した史跡のうち学術上の価値が特に高くわが国の文化の象徴で国宝(建築物、美術工芸品、文書などで使われる概念)と同格のもの。

五稜郭が指定されている背景を考えると、ただの古戦場なら道内各地にあります。

公園として親しまれていると同時に、五稜郭は、幕末から明治維新にかけての我が国の歴史を理解する上での重要な遺構として、大正11年(1922)に国指定史跡とされ、さらに昭和27年(1952)には、「史跡のうち学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」として、北海道では唯一の特別史跡に指定された。

出典:函館・五稜郭タワー公式ウエイブサイトより

日本の近代史を振り返ると江戸幕末期は武士が納めていた身分制度時代からの大転換期です。
当時の諸外国(アメリカをはじめとした列強国)が武力で他国を植民地化していく時代にあって、その中で多くの人達が国のために動きそして血を流した事実が五稜郭にあります。
先人の功績を辿たどるのも後世を生きる者として知っておくのは大切なのかと感じました。

筆者撮影 五稜郭概要図

改めて五稜郭は要塞でした。
西洋式築城術を取り入れた城郭は江戸末期の海外列強から北海道(蝦夷地)を守るために造られました。現在は人々が楽しめる観光地になり築城当時には考えもつかなかったと思います。

筆者撮影 土塁どるいに登って見た景色①

さて話を戻して、改めて敷地内の桜を目にするとある錯覚感に襲われました。
「ここはひょっとして天国!?」
360度どこを見ても桜に圧倒され、風に乗って香る甘い桜の匂いが気持ちを高揚させます。
日本人の死生観を表現するのに桜はよく登場するので、それはまるで亡くなった後初めて見るお花畑は実は桜じゃないのか?と思うのでした。

筆者撮影 土塁どるいに登って見た景色②

筆者撮影 土塁どるいに登って見た景色③

上の写真を撮る頃には観光客が多くなり、タイミングを図りながらの撮影です。耳にするのは多種の言葉。五稜郭は世界各地から訪れる観光スポットなんですね。

散策は続き次は箱館奉行所に向います。

②箱館奉行所

土塁周辺から中央の広場に向います。すると大きな建物が目に入ってきます。

筆者撮影 箱館奉行所 正面入り口から見て右側の様子

道内には本州にあって北海道に無い(少ない)ものがいくつかあります。その一つにかわら屋根が挙げられます。
本州から北海道に古くから移住されたエリア(函館や小樽など)には見られますが、やはり積雪が多い土地なので普及はしなかったと思います。

さて箱館奉行所についてですが

設置の歴史を調べると、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国間で締結した
「日米和親条約」さかのぼります。当時の伊豆の下田蝦夷えぞ地の箱館を「開港場」として外国との窓口や箱館の守りのため箱館奉行が置かれました。

奉行所は1802年(共和2年)に函館山麓(現在の函館元町公園内)に立てられました。その後1864年現在の五稜郭と同じ場所に移築されます。それでは奉行所内に入ってみます。

筆者撮影 入館して最初に見る掛け軸 二代目箱館奉行 堀利煕ほりとしひろ

解説書を読むとこの書は五稜郭築造された安政4年作で、書の初めに書かれているのが「礼義の交友の道とし」
意味は「親しき中にも礼儀あり」
何故この思いをしたためたのか?新しい環境に対する思いそれともこれから起こる歴史の予感から?
きっと様々な思いがあったのでしょうね。
それにしても当時のトップの方々は教養豊で書が達筆な方が沢山いたのだと思いました。

筆者撮影 大広間

さて廊下を順路に従って歩くと見えて来るのがこちらです。
72畳をふすまで区切り4つの間からなる大広間です。時代劇でお馴染みの場所は当時の資料を基に再現されています。
現代の建物とは違い障子からの採光で室内は昼間でも薄暗く、敷き詰められた畳から一番奥にあるいちの間まで目を凝らして見ると独特なたたずまいに圧倒されます。

ここでは当時様々な会談などがあったのかと思うとこれまた歴史のロマンを感じます。

筆者撮影 大広間横廊下 この先に奉行の執務室である表座敷おもてざしきや武器庫に続きます

館内の説明を読んでいると、歴史家などが当時の資料を基に忠実に読み解き、宮大工が各部屋の細部に渡り施工しています。
室内において鴨居などそれぞれの部分の名前は聞いたものばかりですが、改めてその一つ一つに当時の日本家屋の英知が詰まっているのだと感じます。

先に進みます。箱館奉行内の様子が分かるイラストがありますのでそちらを見てみます。

出典:箱館奉行所公式ウェブサイトより

筆者撮影 中庭の様子 

鑑賞用でなく採光・雨水処理のために造られたと説明書きに記され、余りに殺風景なので一見ここは牢屋かと錯覚しました。
木製の格子は当時の建築様式にのっとって作りこまれています。写真奥の屋根に見えるのは太鼓櫓たいこやぐらです。ちなみに太鼓櫓とは時刻を知らせる太鼓を置いた物見台ものみだいで、現在は入れないエリアです。

さらに館内散策し順路から最後は御役所調役のエリアに向います。
ここでは五稜郭築造から当時の箱館の様子、箱館奉行の仕事や近郊の農工業や庶民の生活など多岐に渡る説明がなされています。そして箱館戦争とその後の資料が数多く展示され、歴史好きにはたまらない場所です。それではその一部を見て頂きます。

筆者撮影 五稜郭の歴史①

資料より五稜郭を作るまでの経過が分かります。

筆者撮影 五稜郭の歴史②

武田斐三郎あやさぶろうの説明があります。
幕末に詳しい方ならご存知でしょうか。筆者は勉強不足で知らず、調べてみるとまさに天才でした。
ルーツは甲斐武田氏出で現在の愛媛県大洲市の生まれ。蘭学を学びその後は様々な勉強する機会に恵まれ、日本を開国させたアメリカの軍人ペリー提督にも箱館で会い、科学者・教育者・陸軍軍人で様々な分野を収めた人です。
幕末期から明治時代は多くの文人や天才が輩出された訳ですが、現代はどうなのか?と思う次第ですね😁

筆者撮影 日用品など

資料には生活に関するものも展示されています。当時全国から様々な職種の職人が箱館にやって来てそれぞれの腕を磨いていたのが分かります。この写真の瀬戸物などは現地で出土されたものです。
写真左に写っているのが当時蝦夷地だけで流通出来た地方通貨で、鋳造されていた事実は知りませんでした。
江戸時代までは各藩で独自通貨が存在して蝦夷地でも同様の対応がなされていたようです。統一通貨については明治以降に出来ました。(うーん勉強になりました🤔)

その後も資料閲覧であっと言う間に時間が過ぎ、トータルで1時間以上は滞在し箱館奉行所を後にします。

筆者撮影 箱館奉行所を後に

奉行所近くには他にはないしだれ桜が見れます。また休み処があり、お土産の購入や軽食が出来ます。気が付けば天気が晴れから曇りになっていました。
今回の旅の記念のお土産として目を惹いたのが御城印ごじょういんです。神社仏閣で販売されている御朱印とは違いますが全国各地のお城で発売され、その始まりは1990年(平成2年)に松本城から。今では全国に500城で販売されています。一枚300円(税込み)御城印帳もありますので興味のある方は集めてはいかがでしょうか。

筆者撮影 書いてもらうタイプではなく印刷ものでした

まとめ

今回は【春の函館観光】 五稜郭公園桜祭りと歴史散策を書いてみました。

2023年は繰り返しになりますが桜が最速に咲いた年になり、それだけ道内においても4月は暖かく過ぎました。
これまで桜の時期の函館には何度か訪れていますが、五稜郭をメインにした旅は初めてだったので大変思い出に残る良い体験が得られました。

桜をでそこからのパワーと心情を感じ取り、箱館奉行所では歴史散策として日本の近代の転換期を学び、かつての出来事から日本人の死生観について考えさせられました。

旅は情調を高め日常生活の疲れた心身の癒しになります。直接現地に赴きそこで出会う人や物事、食事やアクティビティに感謝です。それらがこの先の自分の人生にプライスレスな経験として残ります。
函館五稜郭公園は来年も出掛けたい場所になりました。

今回はここまで

最後まで読んで頂きありがとうございました次の記事で会いましょう。

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