あの時の記憶再び…

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2月14日 
昨日の地震は10年前の東日本大震災の余震と位置付けらているようです。

地震と言えば私が住む北海道でも2018年(平成30年)9月6日3時7分59.3秒(日本時間)に、北海道胆振地方中東部を震央として発生した地震でした。今年で3年目になりますが、時間が経過したとともに記憶が曖昧になるところと、昨日の地震のようなことが起きると、思い出されるところもあります。

今回は3年前の胆振東方沖地震の振り返りを記事にします。

深夜の出来事…その時

その年は夏がとても暑く、7月から9月の当日位まで蒸し暑い日が続いていました。本来北海道の夏は正味1ヶ月あるかないかの暑さを享受する訳ですが、ここ数年私が住んでいる地域も6月終わり位から9月中までの暑さが続くようになりました。その暑さがまたいわゆる蒸し暑い本州の様なまとわりつくようなものになっています。

あの日も蒸し暑い日中から夜になり、仕事が終わり自宅に帰宅。夕食を食べていつも通り映画などを観ながら過ごしています。時刻が3時7分をなるかならないかその時、緊急地震速報が鳴り響きその数秒後大きな縦揺れが10秒ほど続く。当時の震度は4。寝ていた家族が起きて来て情報収集の為TVを付ける。「最大震度7!なんだその震度」その後はTVを食い入る様に観ている。地震後18分後突然の停電。いわゆるブラックアウトが始まり、懐中電灯をその前に手元に持ってきていたので、状況を確認しながらも私は朝から仕事が有る為一旦仮眠することに。

夜が明けて それまでの街の光景が…

妻からは仕事を休んだらと心配してくれたのですが、緊急事態につき先ずは職場に行くことを決める。
車を走らせ車道を走行していると、停電の影響か信号機は全部消えたまま。更に走らせると行く先々のコンビニの前に行列が出来ている。職場の近くのコンビニで買い物をする。

店内は人でごった返している。時刻は7時ちょっと過ぎ”なんだこれは!!”とびっくりしていると、次から次へとお客がなだれ込んでくる。
まずは水分が必要だと思い冷蔵庫に向かうが既に水は売り切れに。残っていた紅茶500㎖1本のみレジへ持っていく。レジにも長蛇の列。停電につき手計算の店員が対応している。その間にもショーケースには何も残っておらず、ここで改めて”物資がどんどんなくなっている”ことに気が付く。
コンビニを後にし職場に到着する。その後このコンビニは昼前に売るものが無くなり休業したとか。

ここまでの道中とにかくいつもの通勤と違う光景が…
”街が止まっている…”
そんなことを思いながら、職場に入ると既に本日は休みのはずの職員が出勤しており、いつもの職場と違う雰囲気がありました。
入居者の様子は、地震について、分かっている人といつものようにボーっとしている人、相変わらず怒っている人、独り言を言い続けている人などそこはいつもの代り映えしない光景でした。
夜勤者から地震前後の申し送りを受け、とりあえずホームの入居者及び職員、施設の建物には被害は出ていないことを把握する。

その後も別の職員が続々ホームに到着し、ある職員はバスが動いていないから、タクシーでここまで来たなど、通勤時の混乱状態を教えてくれた。またある職員は断水を考え、自宅にあったウォーターサーバーを持参してきたり、ある職員はすぐに近くのスーパーに食料品の買い出し後にホームに来るなど普段と違っていました。
停電はその後2日間続くことになり、ホームの台所はIHクッキングヒーターにより使い物にならず、行事で使用するカセットコンロが停電期間中フル活動することになりました。

目まぐるしく1日が過ぎて

入居者建物の無事が分かり、ホーム長の指示でもともと当時の勤務者、ホーム長、主任のみを残し、残りの職員には今後のことを考え一旦帰宅するよう指示し、その後の勤務に当たることになりました。
ホーム長と主任が買い出しに近くのスーパーに開店前の時間にも関わらず足早に出掛ける。残った職員はいつもの業務を行うことに。
入居者は若干いつもより落ち着きがなかったが、残った職員でいつもと同じように接する中徐々に落ち着きを取り戻していった。

買い出しに行っていたホーム長等が戻ってくる。スーパーマーケットの様子を聞くと、すでに到着時より入店規制が掛かり店内に入るまでに1時間、店内で買い物をしようとするが、めぼしい食糧品はすでに売り切れ状態。買えるもののみ購入し、近所にあるホームセンターにも日用品の調達に行ったようで、そこでも入場規制が掛かり入店後殆ど商品がない中、買える物品の購入でホームに戻ってくる。ここまでで5時間位は経過したようだ。途中給油しようとガソリンスタンドを目指すが、どこも車列が続きひどいところでは1km以上は続いていたと。結局給油は諦めて戻ってきている。
しばらくすると、法人の本部より職員が現状確認にやってくる。
「怪我や施設の破損などなかったですが?」
無いことを伝えると、法人内もパニック状態であることを教えられ、援軍は得られないことや物資については各事業所で調達して欲しい旨の連絡を受ける。
(この時のことを振り返ると、それぞれ現場で何とかしなければならないのだと思わされた瞬間でした)
またこの時は断水にはなっていなかったが、断水になるかもしれないとの噂より、トイレ用などに浴槽に水を貯めるよう指示も受ける。TVが観られない不自由さが有りましたが、情報収集はたまたま入居者が持っていたラジオに頼ることになりました。
法人本部職員が帰った後、時刻はお昼前になっていた。
昼食作りはいつもと勝手が違っており、炊飯は非常食で備蓄していたレンチンするごはんを湯煎で温め、おかずは急遽手っ取り早いカレーライスとなる。いつもならおかずは数品作っているが、手短にかつこの状態がいつまで続くか分からない為、食材や食事内容も制限を掛けていく。

時間の経過とともに、停電の影響は冷蔵庫などにも出てくる。ホームには冷蔵庫のほか保冷庫がもう一台あり、そこにも食材をストックしている。保冷庫の食材は1日半位は持ち堪えていたが、冷蔵庫の食品は徐々に常温になっていく。
天気は晴れており9月だと言うのに気温は27、8度あったのかと思う。室内は徐々に暑くなり窓を全開に、たまたま風通りが合った為体調を崩す入居者はいなかった。
フロアー内にカレーのにおいがする中昼食作りも終えている。盛り付けについては、いつ断水するか分からなかったので、食器にはラップを付けて入居者に振舞われた。一部の入居者から、いつもと違う配膳の仕方に怒りを持ち職員に暴言を言う人がいたが、説明などしてその場は抑えていた。
昼食はカレーと言うこともあって、いつも以上に進みが良くほとんどの入居者は食べ残すことなく完食している。
後片づけ、食後の口腔ケア、トイレ誘導などいつもの時間の流れがそこにはありました。

時間の経過は瞬く間に進み、昼過ぎには安否を確認する入居者の家族が数組やってきて、自分の親の安否を確認後はそれぞれの居室で自分の親と過ごして頂く。正直あの時はいつもと違う環境下だったので非常に助かったことを思い出します。
そして、入居者は意外にもさほ変わった様子は無く、いつもと変わらない時間を過していた。あの時もしホームが損壊などで物理的な被害を被っていたり、入居者に怪我など合ったならこの様な時間の経過ではなかっただろうと思い、ここでも大難が小難で済んでくれたことに感謝するのでした。
そうこうしているうちに日は翳る。停電中につき入浴が出来ない分、いつもより早めに夕食の準備、トイレや就寝に向けた準備、介護記録など明るいうちにやらなければならないことを優先的に行う。15時を越えた頃には通常よりも早く夜勤の職員が出勤して来た。日中の入居者の様子、これまでのホームでの状況を申し送りする。

”当時の記憶をもとに今回の記事を執筆をしていますが、9月6日当時のことを改めて調べてみると日没は18時02分でした”

話を戻して、夜勤者に申し送りを済ます。フロアーではいつものレクリエーション(体操だったり簡単な遊び)を行っている時間です。いつも夕方になると帰宅願望の強い入居者や繰り返し言動の多い入居者はいつも通りに各々の言動が見られる。しかし、職員だけは普段と違う時間を過ごしていた。いつもより早めに夕食を提供する。夕食もその日は16時30分過ぎには終え、食べ終わった入居者から順番に入床準備を済ませていく。

今は停電中、日没までに各部屋へ入居者を誘導し入床してもらう。

今思い出しても”日没がこれほど心もとない”と記憶が蘇ります。

しかし、不思議なものであの時は他の職員誰一人不安なことは口にはせずに黙々といつもと変わりなく、入居者と接しながらも手際よく業務を終わらせていきました。それにしても、今思えば一番不安だったのは間違いなく当日の夜勤者でした。ホーム長より何かあればすぐ連絡するようにと伝言を受け夜勤に入りましたが、また余震が来たらなどを考えるだけでも大変だったと思います。


停電下の夜勤は2夜目に。本日は日中通しての停電。これはホーム開設以来おそらく初めてとのことでした。今後これからいつまで停電が続くか分からないまま、何が起こるか入居者の行動や精神状態の変化を見ていくと、どのようになるか未知の領域でした。夜勤者を残し残りの職員はひとまず帰宅することに。交通機関は停止中の為、手分けして送れる職員が送りました。

私は帰る方角近い職員を乗せて家路へ向かう。車を走らせると、車内では今日の出来事や地震被災時間当時のことなど話しながら進む。
車窓からはいつもと違う光景が見に飛び込んでくる、そう!街が真っ暗である。
正確に言えば走行中の車のヘッドライトはあるもの、あと一部の住宅では停電が解消されたのか電気が点灯していたところもあったが、信号機も暗いまま、走行には最善の注意を払いながら同僚を送る。対向車もみな同じ考えであり、ゆっくり走行し、交差点などでは譲り合いなどが頻繁に行われており、非常時だからこそ落ち着いているように感じられました。

カーラジオから地震発生後の状況が刻々と伝えられ、初めは色々話していた同僚ともいつしか道案内の指示以外は無言に。そうしているうちに同僚宅前に到着し、挨拶を交わした後車から降り暗い道に消えていく同僚を見送り、また車を走らせる。
運転をしているとはっと思い出す。”実家はどうだろ?大丈夫か!?”そのまま一旦市内にある実家の様子を確認するため実家に赴く。
車窓からの景色は行けども行けどもいつもの見慣れた景色ではなく、ヘッドライトだけが流れる漆黒の闇夜が続いていた。道中車同士の接触事故が数件発生していたのを横目に、何だか気だけが妙に焦りを覚える中、実家に向かう。

実家は無事の様子。出勤前に連絡は入れておいた為、家族の無事は確認済みだったので安心していたが、停電の影響があり到着時には真っ暗で、実家の居間からロウソクの灯が見える。両親と弟が迎えこれまでの経過をお互いに確認する。一通りの話を済ませて30分位滞在した後自宅に戻ることに。時刻は20時位だったでしょうか、車を走らせる中その間も車内のTVで情報収集を行う。自宅では観られないTVが車でしか観られない不思議さ。TV局は放送をしている。停電下においても自家発電なのか送電の優先度が高い為いち早く通電したのか分からないが、放送は流れていた。

自宅に無事到着。車を降りると辺りは静かでいつもなら生活音が聞こえてもいいものだが、全く聞こえてこない。自宅では妻が待っていて、妻の顔を見るなり安堵とこれまでの運転による緊張感からの開放でどっと疲れが出たことを思い返す。
今日の出来事を妻から確認した後、気が付けば今日1日汗だくで働いており、断水はしていなかったことも幸いして水は出たのでそのまま冷水シャワーを浴びて1日の汗と疲れを洗い流す。その後簡単に夕食を済ませ室内にはラジオを流し情報収集を続けながら1日の振り返りをして過ごす。
そんな中私はふと思い出す。真っ暗な街並みを走っていると見慣れない光景を。

「ちょっと外に行かないかい?」と妻に言い妻を連れ出す。懐中電灯を手に近状を歩く。
「空見てごらんよ」と夜空を見るとそこには普段は見ることが無い、満天の星空が眼下にあり、妻もあまりの綺麗さに「ほんとー綺麗ね」と二人でしばし夜空を見上げていたのでした。この光景はきっとずっと忘れないものになるでしょう。そんなことも有りながら夜は更けていくのでした。

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停電が終わり、日常生活へ向けて

次の日も天気は晴れていました。身支度を済ませ軽めの朝食を終えると早めに出勤するがまだ停電中。2日が経過し信号機は消えたまま、車を走らせ昨日と違うのは大通りには警察官が出ていて手信号で交通整理をしている。車内のTVよりこれまでの経過を確認する。また昨日はやっていたコンビやガソリンスタンドはどこも閉店。売れるものは売りつくした様だった。通勤する人はいつもより少なめ、バスなどもほとんど走ってはいなかった。

この地震では特にひどい被害を受けたのは、
厚真町、安平町、むかわ町、平取町、日高紋別などの地区。死者も道内で44名出ており、負傷者782名、住宅被害全半壊、一部破損を含め15978戸に及びインフラの被害も数多く報告されています。

2日目の勤務は夜勤者からの夜間の入居者の様子を申し送り。特段変わりが無かったことの報告を受ける。夜勤者の表情はいつもの夜勤明けの表情とは違い心労を感じたが何はともあれ無事に夜を乗り切っていた。

ここで驚いたことを一つ。被災当日より何と!ゴミの収集は行われていた。ホームはすぐに使用済みのオムツなどの廃棄物で一杯になるので、ごみ収集が有ったことは驚きと感謝で一杯でした。
更に心配していた断水もホームでは起こらなかったので、給水には困らなかったことも不幸中の幸いでした。その後業務に入り、トイレ誘導などを行った後は食事作りを行う。その間にも昨日同様に法人本部より経過確認で職員が来たりしている。入居者の様子も特段変わりはなくいつもの賑やかな風景が。本部職員より、停電が解消している情報を受ける。


ここでちょっとブレイク!
停電等の復旧には優先順位があるとか無いとか定かではないがこれは噂であります
①病院がある地域
②消防、警察など治安活動の施設周辺地域
③行政施設
など…
と訊いたことがあります。まあ最近ではそれら施設には各々独自に発電設備を備えているところも多く、真偽は定かではないですが復旧の優先順番はあるのでしょうね。さて、話を戻します。

午後が過ぎ完全停電3日目の夜に差し掛かる。昨日同様17時30分ごろ迄には全ての業務を終わらせ当日の夜勤者に引き継ぐ。入居者は昨日よりは幾分落ち着きを取り戻していた事も若干の安心材料でした。
その後帰宅する訳ですが翌日の報告には、19時過ぎに通電が有り停電が終了したとの話を聞きました。やはり電気が戻ったことで本当に安心したと後日談より回想します。

これでホームでの業務はさほど変わらない日常業務が送れるようになり、ホーム長等の午前中に買い出しにスーパーに出向く日が数日続きますが、数日経過する中で物流網の回復、スーパーなどにも商品が配送される中で食料品の確保を行い、残りは備蓄品などで繋ぎとめる。

ところでこの数日間について他の職員のことを思い返すと、停電が震災後その後3日(トータル6日ほど続いた)ほど続いた者。自宅の被災で後片づけに時間が掛かった者。自宅近くの道路が陥没して暫く通勤経路が変わった者など影響は数日に及んだ。ただ、今回の地震で怪我や生活が出来なくなる程の被害を受けた者がいなかったことは不幸中の幸いでありました。

振り返り

今回の令和3年2月13日の東北で起きた地震。今なお予断を許さず、余震の可能性、今後時間の経過で更に被害状況が分かってくるのだと思います。災害はいつ起こるか分からない日本列島、今はコロナ禍であり、避難場の映像を観ると室内にテントを設営するなどコロナ対策も行っています。被災と罹患の恐怖。ワクチン接種も2月中から医療従事者から開始されます。これ以上被害が多きくならないことと、新たな災害が起きないことを祈るばかりです。

この記事を書きながら約3年前に起こった地元での地震。その時の怖さが蘇っています。あの地震はたまたま9月の初めでしたので、もし厳冬下の今起きたらと考えると恐ろしくなります。のど元過ぎれば何とかと思っていた私でしたが、改めて今の我が家の備蓄状態や装備について見直す必要を考えました。

今なお地震による被害を受けられた方々にお見舞い申し上げると共に、自分に出来ることがあればと考える次第です。

今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

次の記事で会いましょう。

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