葉月~かつての記憶を巡って~

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8月になりました。

職場では連日クーラーをたいても(これ北海道弁?)室温が下がりません。
原因は換気です。二酸化炭素濃度計測を始めてからせっかくクーラーをつけても
冷風が滞留せずに逃げるから。

まあ長時間座っている入居者からすると、冷え過ぎは良くないので良いのですが、朝からバタバタしている職員は汗だくになって体動かしています。

さて、8月と言えば終戦を思い出します。今年で先の大戦が終結して76年目です。
今は東京オリンピックのことやコロナの話でややぼやけていますが、今回は終戦について思いを馳せた考察です。

1945年8月15日

第二次世界大戦、大東亜戦争 太平洋戦争呼び方は違えどかつて戦争が有りました。



日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。 外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。

Google検索より

 1945年人口調査結果による人口7199万8千人に 軍人及び外国人の推計数14万9千人を加えた補正 人口

総務省人口統計局より

この頃は1億人ではなかったのですね。単純に71998000-3100000=68898000人
約4割の方が亡くなった戦争でかつ、負傷等を入れるとどれだけの方が被害を被った戦いだったか筆舌尽くしがたいです。

この戦争は中国、太平洋諸国、アジア周辺国を舞台に最終的にはロシアの一部とも戦闘する訳ですが、一国がこれだけの広範囲で戦闘を行う訳ですので、必然的に物資や人員が不足してきますし、指揮系統の統制も図れなくなります。

戦争の発端は資源確保

太平洋戦争前より、日中戦争が起こっており満州事変から数えると14年間の戦争。更に太平洋戦争も同時に起こるなど、昭和初めはまさに戦争一色単だったのかと思います。

さてどう大戦がなぜ発生したかの結論からですが、
”資源獲得”

資源と言えば、石油です。当時の輸入先はアメリカでその割は80%。そのアメリカから禁輸通達を受けて、同時期の日中戦争下の日本は石油の確保が必須だっただけに、同国の禁輸措置は事実上内政干渉も含んだ措置だった。

そもそもなぜ日本は中国と戦争しなければならなかった?
歴史を紐解くと、江戸時代の鎖国から開国後諸外国を見渡せば、欧米列強に世界は蹂躙されていた中、隣国中国の状況を見ていた明治政府。アヘン戦争後欧米支配下の大国の有り様は、まさに
”持つ国持たざる国”(領土、資源、権益などなど)の植民地政策。

開国後欧米列強の矛先が日本に向いていたことは当時の上層部にも分かっていた事であり、日本が他国からの侵略を防ぐには、殖産興業 富国強兵 をもって国力強化と武装化が急務だった時代背景が有りました。鎖国により日本の産業、軍事力などあらゆる分野が一説によると、50年から100年位の遅れが有ったとか、それだけの差を埋めるために明治政府は上記の政策を掲げ邁進する訳です。

植民地政策は当時のトレンド?今でも形は変えてですけど、脈々と続いています。さしずめ今は情報戦による、サイバー空間を巡るものだったり、環境特に水確保や石油に代わる新たな資源の開発。世界の覇権争いは今なお続いています。
話を戻し、中国進出の足掛かりは日清,日露戦争の戦勝により韓国の併合後の日本政府が、当時弱体化していた中国へ領土拡大が主要因として有ったようです。
ここでも思い出されるのは、日本はとにかく中国、そして朝鮮に対しての憧れと戦いを挑んできています。当時の朝廷や幕府は歴史的に見て当時最先端に進化していた文化、教育、政治、科学技術などを大陸(中国、韓国)より輸入し、日本に根付かしていていました。時代は進み鎌倉、室町、安土桃山時代そして秀吉の韓国出兵など度重なる戦の歴史が有ります。

もはや、因縁と言うべき中国大陸への侵攻。しかし、思うのですが何故あの大国に挑んだのでしょうか?いくら国が弱体化していたとは言え、国土、人民の多さ島国の日本とはあまりにも違い過ぎる環境下。日清日露戦争の勝利がもたらせた自信?それとも傲慢?歴史は時として皮肉な運びを私達に教えてくれますね。
昭和12年から昭和20年まで続く日中戦争。昭和16年からは太平洋戦争に突入し、資源がとても確保出来ない状態だったことが分かります。

終戦今なお残る残影

原因が資源確保として、歴史的な背景を読み解きながら、大東亜共栄圏を構築すべく錦の御旗を掲げての米英など欧米諸国に対する宣戦布告。東南アジアを植民地としていた列強に対して、解放していくそして共栄していくプロパガンダは、当時東南アジア諸国にどれだけ影響をもたらしたか図り切れないと思います。

次々と列強との交戦により、勝ち進める日本軍。敗走する列強、アジアの小国が勝つ姿は当時の世界にはどう映っていたのでしょうか?
植民地の解放する目的に賛同し、共に戦った現地の人達。その後の対応がもっと現地の人達に寄り添ったものだったら、違っていたのでしょうね。
私が知る情報は日本軍の蛮行が有り過ぎて、今の韓国の反日感情がもっと多くのアセアン諸国に有っても良いのかと思う位ですが…。

人は恨みが募ると許せない、怨嗟の念がいつまでも引きずります。そこで、この負の感情を断ち切れる人、出来ない人がいる訳ですが、仕打ちの受けた度合いによって恨みの度合いは増して深いです。
国家間の戦争によって多大な被害、終戦後賠償金の支払い、謝罪を通して時間を掛けて償いをしていきます。

国交回復、親善交流、経済協力など戦後日本は皇室、政府、民間で執り行われてきました。それは今なお続けています。この終わりのない行脚は今後も幾年続くか分かりませんが、例えばフィリピン、シンガポール、台湾、韓国、中国などに旅行に行ったとき、その現地の国民から見て、日本人はどう映るのでしょうか?かつての侵略者、汚い奴ら、優しい、裕福な人達など捉え方は様々でしょう。

日本の戦後史、戦後教育について今どの様に子供たちに教えているのでしょうか?
アジア各国の人々のことどのように教えているのでしょうか?
過去に起こったことを歪曲なく正しく教える。また伝えていく。時間が経過すると共に出来事は人の記憶から薄れ行きます。今は映像の記録が膨大に有り、アーカイブを辿れば見付けられるでしょう。ただそれらにも引っかからない事実はどうだろう。知る由もない出来事も数多あるでしょう。関連書籍、文献を読んで知らなかったことを知りたいです。

8月は鎮魂の月。それは日本だけではなく、関係した諸国にも同じです。敗戦、終戦、戦勝、解放、独立記念日。呼び方、受け取り方は様々。時代の側面、転換期に生きています。
今後かつての様な大戦が無いことを祈るばかりです。

今回はここまでです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

次の記事で会いましょう。

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