今日は朝から雪が舞っています。
さて、今回の記事はnoteとの連動企画です。
只今直近のnoteの記事で旅行記を執筆しています。こちらでも旅行の記録をUPします。
それではどうぞ!!
函館それは路面電車パラダイス
私は電車が好きです。俗言う乗り鉄でも撮り鉄でもないですが、子供の時分より好きです。
さて、全国各地に電車数あれど、まだまだ知らない電車や乗ったことのない電車一杯有ります。
今回の道南旅行の目的の一つとして、函館の路面電車についてのレポートをしてみます。
これまで函館は何度となく訪れていますが、改めて自分のブログで取り上げるのは初めてだと思います。ご存知の方多いと思いますが、函館に行くと必ず目にする路面電車乗ったことのある人も無い人も、今後訪れた際に現地の足として乗ってみて、街並みなどを観ながら観光するの良いと思います。
それでは本編です😁
北海道の路面電車は札幌と函館に有ります。総営業距離は※1函館の方が広く、また※2
停留所や車窓から見える街の景色は 山側と海側に別れそれぞれに何とも言えない風情を感じます。
※1函館路面電車路線距離:10.9 km
札幌路面電車路線距離:8.905 km
※2停留場数26か所
先ずは函館路線図を見てもらいましょう👇

些か見づらい所も有ると思いますが、駅の掲示板に貼ってあります。停留場とその周辺の街案内がイラストで描いてあります。何とも味が有りますね。道内に在住の方である程度年齢を重ねた方なら分かると思いますが、
おおば比呂司氏のイラストタッチに個人的に似ているのかと感じます。
おおば氏の代表的な作品がこちらです👇

こちらのイラストは、お土産で有名なわかさいもの表紙パッケージ。道内観光した方で
わかさいもを手に取った方なら見覚え有るでしょうか。ほのぼのしたイラストですね。
さて話を戻しますね。
突然ですが、”函館市電一口メモ”
旅行中様々な車体を見ました。一体何種類有るのか調べてみました👇

いやー調べてみると上記の種類の電車あるようです。今回の旅では全部は見れませんでしたが、走行している電車を見ると、とてもワクワクするおっさんがいます。
自分の車の運転中、駐車や信号待ち中にパシャパシャ写真を撮りまくっていました😁

今気が付きましたが、手前に写っているマンホールこれは五稜郭をあしらったデザインですね😲
函館市電の特徴(私見ですよ)
①山側の路線の勾配は最急勾配:58.3 ‰(青柳町 – 谷地頭)さすが坂の街の電車です。
②次の電車の発車間隔が短い。日中は5分間隔で運行。
③街歩きをするのに、主な観光ポイントに停留場がある。(利便性が有りますね😊)
この他にも沢山有ると思います。
ぶらっと写真に収めて
それでは湯の川停留場とその周辺です。

もう一度同所周辺を含めた写真です【ちなみにこちらの停留場は終点(起点)です】



分かりづらいですが銀行隣り左奥には湯倉神社が有ります

左右には商店街で、歴史ある温泉街の情調を感じます(この先に進むと五稜郭、JR函館駅方面になります)
湯の川はこれ位にします。札幌の路面電車と比べると走っている路線で道路の痛み(亀裂など)が見られます。憶測ですが地形(温泉地など)が関係しているのでは?定期的にメンテナスはされているのでしょうが、これまた歴史と言うか味とでも言うのでしょうね。
これからは旅行中にランダムに撮影したものを載せていきます。

走行中の電車同士が交差する様子

本来なら観客で賑わっている時間帯ですが、ご覧の通り閉店時間のお店が多いです
観光需要回復はまだ先の様に感じます

これら撮影時間は平日の20時過ぎです。週末や観光客が戻ればもっと賑わっているでしょう。
今回の宿泊先は湯の川温泉の花びしホテルです。夕食後の街歩きでしたが、次第に底冷えからホテルに戻りました。
味のある光景
湯の川を出発して、函館市街を車で走行すると、各停留場それぞれに趣が有るのだと感じていました。
(今回の旅では26か所すべて回れなかったですが、そのうちの何か所か撮影しましたのでご覧下さい)




最近私が見たお店でなかなか味のある!(おっと失礼しました歴史のある😅)
お店。どうしても気になったので来店しました。
店内の撮影はしませんでしたが、そこにはいつの時代のものか分からない、かつての主の生活を支えていたものたちが穏やかにそして新たな主を待つているかの様に佇んでいます。
一瞬ゾクッとする感覚に襲われながらも、店内を見ていると奥から店主が出てこられ
・お店の商品について
・お店の成り立ち
など気さくに丁寧に教えて頂きました。また店主もお店に負けない位これまた味のある方でした😁
旅の醍醐味は、こうした現地の方との触れ合いもまた一つですね。
結局欲しいものは見当たらず(招き猫を探していました)店主にはお礼を言いお店を後にしました。

函館の地名や建造物などを見聞きしますと何だか懐かしいさを感じます。こちらの昭和橋もその一つ。その土地には年代にまつわる名前有ります。昭和は64年間在り私も昭和生まれです。古き時代に思いを馳せ先に進みます。

とてもおめでたい名前の宝来町。あと少しで終点の谷地頭手前の停留場になります。
この周辺には歴史的な建造物が沢山有ります。

阿佐利精肉店 うーん渋い佇まい😊
創業1901年の老舗。今回はここのコロッケを一度食べてみたかったのですが売り切れでした。
その他にもお惣菜も美味しいと評判です。(いずれも売り切れ!開店して早めの購入が良いみたいです)店内は撮影していません。創業から現在に至る地元に愛されているお肉屋。夕食前に来店しましたが、地元の方とおぼしき人数名がお肉を購入していました。
最近肉を精肉店で買う機会がほとんど在りません。旅先につき購入はしませんでしたが、私の地元の精肉店にも行ってみたくなりましたね。
ちなみにこちらのお店は別の出入口が有り、そちらではすき焼き専門店として営業されています。
暖簾がなびいていましたが、今回は利用せずにその場を離れます。
※ランチタイムもあるようで今度お邪魔してみたいと思いました。興味ある方は下に地図を貼っておきましたのでご参照して下さいね。

あともう一軒紹介しますそれがこちら👇

こちらのお店和菓子などで、道民なら知らない人がいないお店です。こちらについて調べてみましたら次の様なページを見付けましたので貼ってみます。
函館千秋庵総本家の歴史 弊社の創業は1860年(萬延元年)、秋田藩士だった初代「佐々木吉兵衛」が、日米和親条約の開港で沸く函館にわたり菓子売りを始めたところまで遡ります。そして、千秋庵発祥の地である函館から、明治期に小樽千秋庵が、大正・昭和に旭川・釧路の千秋庵が独立しました。そうした中、三代目吉兵衛に請われて東京から来た「松田咲太郎」が四代目を継ぎ、数々の銘菓を考案し発展の基礎を築きました。現在販売している元祖山親爺(やまおやじ)も咲太郎が開発し、全道の各千秋庵に製法を教えました。1921年には小樽千秋庵の職長が札幌で開業、その後札幌から帯広へと伝わって行きました。「千秋庵」という屋号は故郷秋田をしのんで命名したといわれています。 |
千秋庵と言ったら上記にも有ります、 せんべいの山親爺やパイ生地の中のあんこのノースマンなど有名です。ご興味ある方は下にリンクを貼りますのでご参照して下さいね。
さて、最後はこの周辺から見える函館山の景色を紹介します。

高田屋 嘉兵衛(たかたや かへえ)
ウキペディアより
明和6年1月1日(1769年2月7日) – 文政10年4月5日(1827年4月30日))は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。淡路島で生まれ、兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出する。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。
司馬遼太郎氏の小説
菜の花の沖にも描かれている人物です。私は小説ではなくTVドラマで観ましたが、当時の時代背景など考えると当時の日本が世界からどの様の見られていたかなど興味深い内容です。歴史ものがお好きな方におすすめな作品です。
如何でしたでしょうか?路面電車を中心に函館観光について書いてみました。
一泊二日では周りきれない港町函館。歴史と今も健在の路面電車。昨今の感染症による地元経済の影響は計り知れない程、暗い影を落としています。
その中で徐々では有りますが、感染者数も減り新たな日常の過ごし方を取り入れながら、自分の好きな場所へ旅をする、こんな楽しみをまた少しずつ自分の人生の1ページに加えて行こうと思います。
※改めて今回の旅行記はnoteとの連動企画です。よろしければnoteも読んで頂けると嬉しいです。

今回はここまでです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次の記事で会いましょう。
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