世界遺産散策in北海道 Vol.4パート3

街歩き・食べ歩き・経済

今回の記事は私のnoteとの連携企画です。今回は3回目です。
前回と前々回のリンクを貼っておきますので、こちらが初めての方はどうぞ👇

遺跡までの道中を書いています🙂

垣ノ島遺跡について書いています😲

大船遺跡について書いています。

今回は垣ノ島遺跡から函館市縄文文化交流センターへと向かいます。
それでは本編です。

函館市縄文文化交流センター

遺跡より車で5分ほどの高台に 函館市縄文文化交流センター はあります。

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筆者撮影
道の駅南かやべの外観

2011年10月1日開館した全国初の道の駅に併設された歴史博物館。外観から通常の道の駅とは趣が違いモダンアート的な建物です。来訪時は平日だったので来館者は余りいなかったが、どうやら道南地区の観光バスのコースになっているようで、見学途中に観光客数名が入館していました。

この博物館、フラッシュ禁止ですが館内の撮影がOKです。通常このような施設は撮影はNGだと思いますが、ルールを守って下さいね。

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筆者撮影 館内の様子
この博物館はテーマごとに展示スペースが分けられています。

初めのテーマは”縄文のくらし”

さて、縄文時代と言えば、石器や竪穴住宅などを思い浮かべる方多いと思いますが、私もそのうちの一人です。人類の進化についてはチャールズ・ダーウインの進化論などでもお馴染みであり、様々な科学者らが研究しています。
今回の遺跡巡りをして改めて理解したのが、「日本の縄文文化は世界的に見ても古い」ことです。

日本人の祖先ルーツについて、中国大陸などから来た方々、南方や北方の方々が太平洋などを渡ってきたなど様々。元々日本で住んでいた縄文人。その後に登場する弥生人(渡来人)へと日本民族の多様性が生まれ歴史が進むにつれて現在に至ります。

そんな時代の様子を妄想し、過去に思いを馳せながら館内を進んで行きます。


ところで、生活に欠かせない営みとして食事があります。人の歴史は食の歴史と言っても過言はありません。食を通じて人は進化するのだと思います。
改めて、縄文人は火の発見火を操る術を習得しています。更に狩猟採取が発達すると、男女の仕事の分業(得意な仕事を行う)になっていきます。
歴史は悠然に流れてますが、人の進化は他の動物と比較して非力であるため、道具を発明と使用により新しい工夫を取り入れて、「土器や石斧、矢じり、釣り針」などを産み出し、時代が進むにつれ技術も向上してゆきます。
そして、いつの時代にも頭の良い人がいて、彼らが新たなイノベーションを起こし、その結果次第に人口は増えていく。すると手狭になった集落を後にし、新天地を目指す旅を幾度となく祖先はしていたのでしょう。こうした人の動きを含め縄文時代は一万年も続いたのでした。

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筆者撮影 漁労活動
イメージ画より発掘された出土品一つ一つの持つ意味が想像されます。

この先のエリアは、「狩猟、採集、石鍬」などの農耕器具の発明。やがて農業へと発展する過程が分かりやすく展示されています。「土器」についても様々な形や使用用途があり、復元された土器一つ一つを見ていると、発掘作業に携われた方々や復元された方々の尽力は相当なものと想像します。

考古学は改めて、”かつての文明や歴史、人の営み、自然の移り変わりなどを探求する学問”であり、
かつての生活様式を尋ね、そこから新しい知識・見解を導く学問だと思いました。
垣ノ島遺跡はまだまだ発掘が進んでいて、地道な作業の中、新たな発見を今後も楽しみにしたいですね。

更に館内散策は進ます。

縄文文化の精神世界

先程垣ノ島遺跡のガイドさんが話してくれた展示ブースに来ました。それがこちら👇

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筆者撮影 ”循環と再生”

このエリアは、特に縄文時代の人々の精神世界はどの様なものかを紹介しています。精神世界はどの時代であっても興味深いものです。

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筆者撮影

現在において、人が生まれてから様々な祝いがあります。縄文時代の祝いとして手形や足形を取る地域があったようです。それら風習は今なお続く祝いの原点として、これら出土品から知れるのですね。

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筆者撮影
説明プレートより、思わず胸が締め付けられました。記述によれば、亡くなった子供の足型です。

日本において、現代になってやっと乳幼児の死亡率が低下しています。ただこれはアフリカやアジアなど世界各国では、今なお内戦や難民生活を余儀なくされた方々が大勢います。これらの犠牲は真っ先に弱者に及びそれが子供達の生命、栄養失調や病気などに現れます。
私達が知らない場所で今も知り得ない現実が多くあるのです。

話を戻します。

人が死ぬのは自明のことわり

どんな人でも死は平等に訪れ、早いか遅いかの個人差はあれど、確実に終焉は訪れます。
縄文人の精神世界は、現代の私達と変わらなく、更に現代人の感性よりも優れていたのかと展示エリアを見ていると私の心を揺り動かすのでした。
輪廻転生・復活・不死などこれまで人が考えてきた理想や夢、想いなどは様々な時代において考え実際求められてきました。そのために莫大な労力を使った時の権力者もいたでしょう。SF的な都市伝説発想は嫌いではないので、別な記事でUPしたいと思います。

館内最後のエリア

精神世界にすっかりやられてしましましたが、更に進むとこの博物館のクライマックスの展示物にお目に掛かります。それがこちらです👇

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筆者撮影
中空土偶!!これは何かの本で見たことのある土偶だ😲

それは突然現れます!!初めて見たにも関わらず、思わず震えました!!
1975年に南茅部の畑で主婦が発見したものと説明文に書かれています。
これまで多くの土偶を見てきましたが、何でしょうかねー
”美しい”と口にしました。かつての人を模した土偶は数あれどです。

先程の縄文人の精神世界を知った後に、こちらの土偶を見たためでしょうか?
個人的には何とも言えない感情が沸き上がってきました。この感動も私の拙い文章とこの写真からでは伝わりにくいと思います。
是非こちらの博物館は垣ノ島遺跡を見た後に、是非訪れてみて下さい。きっとこれまでの縄文時代の価値観が変わると思いますので。

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筆者撮影
展示コーナーを抜けた先の階段を上ると、大きな窓から先程訪れた垣ノ島遺跡と太平洋が見えてきます。

まとめ

今回は、函館市縄文文化交流センターについての記事でした。
垣ノ島遺跡を訪れたの後に同施設を見学すると学びが倍増されます。繰り返しになりますが、こちらは全国初の博物館併設の道の駅です。道民の筆者も訪れるまでは分かりませんでしたので、近郊の方はもちろん、道南観光やドライブで立ち寄って歴史散策はいかがでしょうか?

次回の記事は、”大船遺跡”について書きます。垣ノ島遺跡とは成立時期が違い、時代が進むと人々の暮らしはどのように変わるか?
そのような視点で読んで頂けると幸いです😊

インフォメーション

場所:〒041-1613 北海道函館市臼尻町551−1
電話番号:0138‐25‐2030
開館時間:9:00~17:00(4/1~10/31)~16:30(11/1~3/31)
休館日:毎週月曜(祝翌日)、最終金曜、年末年始
博物館入場料:一般300円(240円) 学生・生徒・児童150円(120円) 未就学児無料
カッコは団体(20人以上)
駐車場:大型5台、乗用車33台、身障者用2台
電話番号:0138-25-2030(平日の9:00~16:30)
e-mail:jomon-center@hjcc.jp

今回のおすすめ商品
博物館で見た土偶あれは何だか神聖なものでした。日本の文化であるもの作りの原点に土偶はあったのかもしれません。インテリアに趣味の一つにいかがでしょうか?

この記事は2022年11月18日に更新しています。

今回はここまでです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

次の記事で会いましょう。

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